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調査研究ノート№12(博物館だより№39より)

菊川町の富士垢離


 平成11年度の『館報』で富士山信仰について若干の報告をする機会を得たことから、同様の信仰行事を探していたところ、小笠郡菊川町の下内田、段平尾地区という場所で「富士松明」とか「富士垢離」という行事があるという情報がはいりました。開催日時は7月14日、午後7時から。どんな行事かわからないまま、ビデオとカメラを持参して当日の取材をはじめました。以下、その行事を簡単に報告します。

 場所は東名高速道路菊川I.Cを降りて南へ、車で10分とはかからない段平尾公民館前。既に会場の準備は整い、公民館周辺の道沿いには松明と思える棒が3mほどの間隔に数十本立てられ、行事会場となる公民館北側の広場には茣蓙が敷かれ、最前列には供物が備えられるテーブルと、大きく造られた松明が3本立てられていました。この他、金魚すくいや綿菓子などの出店もあり、信仰行事というよりは、地域の祭り的な行事であることを感じました。

 また、会場周辺には「段新池」と呼ばれる池があり、その脇には龍神を祀る祠と、秋葉様が祀る古いお堂が建てられていました。このお堂の近くには、段新池から注がれる4m程の落差を持つ滝のような場所がある他、実見はしていないものの、周辺には「太郎坊大権現」が祀られていたり、経塚と呼ばれている富士塚に似た塚まで存在しているという。さらに、この北西側には富士山が美しくみえる。

 このように、周辺の環境は富士宮市村山興法寺に由来する富士山信仰に結びついている。

菊川町の富士垢離
▲菊川町の富士垢離

 午後7時、会場に地区の人々が集まると、地区役員の挨拶の後、数名の役員が段新池近くの秋葉堂に籠もり、松明に火を付けて下り、道沿いに用意された松明に次々と火を灯して回り、最後に大松明3本に火を付けると参集した地域の男性50人程が前後2組に分かれて、交互に立ち上がり次の文句を唱え始める。

「懺悔 懺悔 六根清浄 御〆八大金剛童子 刑部 大日大龍権現 帰命頂禮 南無浅間大菩薩」
(サンゲ サンゲ ロッコンショウジョウ オシメニ ハチダイ コンゴンドウニ ギョウブノ  ダイニチ ダイリュウゴンゲン キミョウ チョウライ ナム センゲン ダイボ-サツ)
と計108回唱えると行事は終了し、地域のお祭りへと変化して午後9時ころに散会となる。

  この後、役員の横山正義氏につぎのことをご教授いただきました。
 この行事は古くから伝わっているものの、その起源や何の行事であるかは地区の人々は知らない。ただ古くからの行事で行っている。昭和36年に一度絶え、昭和50年に再開された。一時期には富士松明と呼び、道沿いに松明を108本立てたという。また、この富士垢離の前には段新池の水で身を清めたとも、秋葉堂下の早口(滝)で清めの行事をしたとも伝えられる。また、この地区には塩の道古道という道があり、秋葉信仰とのつながりを窺わせる。

 以上のような行事や横山氏の話を聞いた限り、この行事には、富士宮市村山興法寺に由来する富士山信仰といくつかの共通点がみられる。

 これらの共通点は、村山を中心とする富士山信仰の広がりのルートを知る手がかりとなるものだと考えることができます。

 この地における富士信仰を考えるとき、これらのことは、今のところ点にすぎないが今後の調査によってお札や旅日記、講関係などの新たな資料の発見があれば、それぞれの点が結びつき菊川における富士山信仰の状況が明らかになることでしょう。

(学芸員:志村 博)

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