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調査研究ノート№14(博物館だより№40より)

富士・沼津・三島3市博物館共同企画展『石は語る-祈りと想い-』


  はじめに

 沼津・三島・富士の3市博物館による共同企画展も、6回目を迎えます。今回は、道祖神や題目塔などの石造文化財をテーマとしました。
富士市では、昭和60年から平成元年にかけて文化財愛好会による石造文化財調査が行われ、5冊の調査概報が制作されています。ここでは、この調査から、富士市内の石造文化財のおもなものを紹介します。

-馬頭観音-

 種類別に分けて最も数が多いのは馬頭観音で、三百数十基が確認されています。馬の顔を頭にいただいた姿の観音像を刻み込んだこの石造文化財は、馬の供養と結びついているといわれます。馬は、傾斜地での運搬作業に欠かせない動力として、昭和30年代ころまでは多く飼育されていました。富士山麓の鷹岡、大淵、今泉、吉永や、愛鷹山麓の須津などの地域に多く分布する馬頭観音は、こうした馬との関わりをうかがわせるものです。

-道祖神-

 次いで多いのが道祖神で、およそ300基をかぞえます。ムラ境にいてムラに災厄が入ってくるのを防ぐ、また、子どもたちの守り神であるともいわれるのが、サイノカミサンなどと呼ばれる道祖神です。今もなお路傍にあり、花などが供えられている様子を目にすることができます。
 道祖神の形は、1人の神様を彫った単体道祖神(伊豆地域では僧行形が多い)、男女2人の神様が並んだ双体道祖神、「道祖神」などの文字を彫った文字碑に大きく分けられます。単体は伊豆地域におもに分布するもので、双体は信州から富士・富士宮にかけて分布しています。
 富士市の中でも、伊豆寄りである旧吉原市域では半数近くが単体道祖神(188基のうち86基)であるのに対し、富士宮と接する旧鷹岡町域では半数近くが双体道祖神(39基のうち21基)となっています。富士市内では60基以上ある双体道祖神も、沼津・三島市では数基ずつしか確認されていません。また、旧富士市域では文字碑が半数(73基のうち36基)を占め、地域や年代ごとに特徴がうかがえます(表)。

道しるべを兼ねた題目塔と、双体道祖神 富士市内の道祖神(地域・種類別)
  ▲道しるべを兼ねた題目塔(右)と双体道祖神(左):富士市久沢    ▲富士市内の道祖神(地域・種類別)単位:基
                                       

-題目塔-

 種類別で次に多いものが題目塔です。鎌倉時代、現在の富士市・富士宮市・芝川町の旧富士郡で は、日蓮の弟子によって大石寺・北山本門寺(富士宮市)、西山本門寺(芝川町)が創建され、実相寺(富士市)も含めて日蓮宗の拠点として、布教活動が活発となりました。現在でも日蓮宗寺院が富士市内の全寺院の半数近くを占めています。
 日蓮宗の浸透にともなって題目塔が多く建立されているのが沼津・三島市と比べて特徴となっています。現在、富士市内で確認されている題目塔は198基です。
 題目塔の形で多くみられるのは「南無妙法蓮華経」の文字のはらいの部分を長くのばした「ひげ題目」と呼ばれる題目を刻んだものです。題目講中によって建立されたものが多く、現在もなお日蓮の命日にちなむ毎月12日などに題目講を行っている地域があります。
 沼津・三島市からは、富士市内ではあまり例のない唯念名号塔や、「伊豆石」と呼ばれる石材の産地として今に残る石切場跡なども紹介されます。富士・沼津・三島というかつての駿河から伊豆にまたがる地域の人々の祈りや願いを、石造文化財の姿からくみ上げることができるのではないでしょうか。

(学芸員:工藤 美奈子)

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