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調査研究ノート№15(博物館だより№41より)

松任市立博物館から寄せられた道祖神資料の紹介


 ここに紹介する資料は、平成14年の初秋に石川県松任市の市立博物館から寄せられたもので、資料の内訳は、「道祖神・庚申」と銘打った関東から東海、甲信越、近畿までの石造物の写真集3冊、「駿河の道祖神」(富士宮市)、(富士宮市・御殿場市)、(御殿場市・小山市・裾野市)の石造物写真集3冊からなる。その数881枚という膨大な石造物の写真と原稿『静岡県の道祖神』1篇です。
 この資料の作成者は、武中 平(たけなか たいら)氏であり、明治36年石川郡松任町石同町(現松任市)に生まれ、後半生は京都に居住し、ここから各地の石造物の調査にいそしまれ、平成2年、87歳で亡くなられています。
 同氏は、昭和41年1月、長野県下諏訪町の何気なく立ち止まった路傍で、肩を組み合って手を握る一石の双神像を道端に見つけ、深い感動を受けました。これ以降、同氏は会社勤務の傍ら、各地の研究者、教育委員会に問い合わせの手紙を書き、この返事をもとに道祖神を訪ねる旅をはじめたのです。休日の前夜に夜行列車で出かけ、ひたすら歩いて1日に5~6基の道祖神にめぐり合い夜行列車で帰る旅であったといいます。このような調査行が15年間寸暇を惜しんで行われ、撮影した写真はアルバムにして274冊に及びました。
 この274冊のアルバムは関係書籍とともに武中氏の生まれ故郷である松任市の博物館にすべて寄贈されており、この6冊の写真アルバム資料はその中の一部です。
 武中氏は、昭和43・44・51年の3回にわたり富士山南麓のこの地を訪れて調査、写真撮影をしています。なかでも昭和43年の調査行では、9月22日に富士駅経由でJR身延線入山瀬駅にて下車をして曽我兄弟廟所曽我寺をへて長沢踏切にある道祖神を訪ね、穴原から富士宮市に入り千貫松をぬけて杉田、小泉と農村地帯を巡り歩いています。翌日は、北に登り朝霧高原近くの猪之頭の合掌型双体神を訪ね、そのまま南下して、名勝白糸の滝、音止めの滝近くの農村を丹念に調べています(『静岡県の道祖神』より)。
 富士山麓における石造文化財の調査・保護・保存への機運は近年に至りようやく熟しつつありますが、その原動力となったのは、武中氏のような文化財をひたむきに愛し、慈しむ心ではないでしょうか。ただ、ただ同氏のひたむきさに敬服するのみです。また、このような貴重な資料の提供をいただいた松任市立博物館の関係者各位には深く感謝申し上げます。
 本館では、これら写真資料をすべてデジタル化して記録保存した後、資料を松任市立博物館に返却しました。本博物館では、いずれかの機会にこれを公開したいと考えています。

道しるべを兼ねた題目塔と、双体道祖神 富士市内の道祖神(地域・種類別)
     ▲富士市長沢の長沢踏切際の双体道祖神・甲子神        ▲富士市鷹岡川久保の双体道祖神
           昭和42年9月22日武中氏撮影               昭和42年9月22日武中氏撮影                         

(主幹:平林 将信)

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