本遺跡からは、「須恵器」や土師器の「甲斐型坏」「駿東型坏」が多量に出土した。これらの産地は、肉眼的特徴や分布範囲などから、次のように推定されている。
須恵器は静岡県西部地域からの、甲斐型坏は山梨県からの搬入品とされ、駿東型坏は県東部地域で生産されたものと考えられている。しかし自然科学的な裏付けは十分でない。
そこで、本遺跡出土の須恵器17点、甲斐型坏37点、駿東型坏20点を試料として、それぞれの胎土を、蛍光X線装置と偏光顕微鏡によって分析・観察を行い、産地を推定することにした。
産地推定のために用いた比較試料は、次の通りである。
須恵器は、県内の3ヶ所の古窯跡(湖西市の古窯跡群、焼津市の助宗、田方郡伊豆長岡町の花坂)からの出土品を用いた。
土師器は、山梨県甲府市の大坪遺跡、東八代郡一宮町の金山畑総遺跡と竜ノ木遺跡の2遺跡(両遺跡は接して立地しているので、便宜上一宮町と呼ぶことにする)、三島市壱町田C遺跡、及び沼津市御幸町遺跡の各遺跡から出土した、甲斐型と駿東型等の坏を用いた。
また補助資料として、県東部地域や山梨県内の各地で採集した河川砂も利用した。
分析・観察した試料土器数は表1に示した。各試料の分析データは、
三新田A遺跡(表2)と助宗古窯跡(表3)については文末に表示しておいた。他のデータは、参考文献1と2を参照していただきたい。
「セイコー電子工業製卓上型蛍光X線分析SEA2001」を用い、すべての試料土器を対象にして、その新鮮な断面に対し、真空の試料室でロジウム管球をターゲットとし、管電圧50KV、管電流1~2μA、照射直径10mmで、200~300秒間一次X線を照射し、二次(蛍光)X線はSi(Li)半導体検出器で検出した。定量した元素はAl.Si.K.Ca.Ti.Mn.Fe.Zn.As.Rb.Sr.Y.Zrの13種である。結果は各元素の蛍光X線強度(cps)で表示される。
焼成温度が低く、胎土中の造岩鉱物が観察できる土師器を対象とした。試料土器を乳鉢で粉砕し、10%塩酸で二回脱鉄処理した後、篩で250μm以下の粒子を抽出し、100倍の偏光顕微鏡で重鉱物組成を中心に観察した。河川砂試料も、土師器と同様な手順で顕微鏡観察を行った。
須恵器は焼成温度が高く、胎土中の造岩鉱物が溶融するため、偏光顕微鏡観察は行わず、蛍光X線分析のみを行った。分析した須恵器は、本遺跡試料17点(8世紀)、比較試料の湖西市古窯群試料 28点(6~8世紀)、助宗古窯試料46点(8~9世紀)、花坂古窯試料20点(8~9世紀)、合計111点である。各遺跡の位置は地図1に示した。
分析データから、各遺跡の試料に特徴的な元素を選び、X線強度比を用いて判別を行った。結果は図1.2に示した。
花坂古窯の試料はZn(亜鉛)、As(砒素)、Mn(マンガン)の含有量で明らかに他と判別できる。これらの元素は、伊豆半島に分布する熱水作用を受けた第三系火山岩類の、風化土に特徴的なもので、これを胎土とした古瓦(例えば伊豆国分寺の瓦)や須恵器の判別に有効である。
湖西市古窯群と助宗古窯の試料はZr(ジルコニウム)とTi(チタン)の強度比で判別できる。本遺跡試料は、両古窯試料にまたがり分布しているが、助宗古窯の範囲に近いようである。
本遺跡試料の元素組成は、Siが多くFeやMnは少ない。胎土の母岩が酸性岩であることを示している。つまり県東部地域に分布する、第四系の火山岩類の風化土は使用されていない。
以上より、本遺跡試料の産地は県東部ではなく、県中~西部方面の可能性が高いようだ。
分析した「甲斐型坏」は、本遺跡試料37点(8~10世紀)、比較試料の御幸町遺跡試料10点(9世紀)、壱町田C遺跡試料3点(8~9世紀)、一宮町試料40点(8~10世紀)、合計90点である。「駿東型坏」は、本遺跡試料20点(9世紀)、比較試料の御幸町遺跡試料26点(8~9世紀)、壱町田C遺跡試料28点(8~9世紀、駿東型以外の在地系の坏も含む)、合計74点を分析した。それぞれの遺跡の位置は地図2に示した。
各試料は須恵器と同じ条件で分析を行い、Fe(鉄)/Si(ケイ素)と、Ti(チタン)/Rb(ルビジウム)のX線強度比を用いて判別した。結果は図3.4.5に示した。
「甲斐型坏」は、どの元素を指標にして判別しても、県東部の諸遺跡試料と山梨県一宮町試料はよく一致し、駿東型坏とは明らかに分離する。元素組成はSiが多くFeやMnは少ない。胎土の母岩が酸性岩であることを示している。
「駿東型坏」は、3遺跡とも元素組成が非常によく似ており、甲斐型坏とは明らかに異なっている。元素組成はFeやMnが多くSiは少ない。胎土の母岩が塩基性岩であることを示している。
胎土中の主な造岩鉱物であるho(角閃石)、cpx(単斜輝石)、opx(斜方輝石)の3成分をもちいて、各遺跡ごとに三角ダイヤグラムを作り、河川砂試料と比較し、産地を推定した。検鏡試料は、蛍光X線分析結果をもとに抽出した。
「甲斐型坏」は、本遺跡試料9点、御幸町遺跡試料4点、壱町田C遺跡試料3点、一宮町試料26点、大坪遺跡試料11点、合計53点を検鏡した。結果は図6に示した。
「駿東型坏」は、本遺跡試料6点、御幸町遺跡試料12点、壱町田C遺跡試料28点、合計46点を検鏡した。結果は図7に示した。
「河川砂試料」は、甲府盆地及びその周辺の8地点と、県東部地域の17地点で採集した。観察内容と結果の表示方法は土器試料と同様である。採集地点と検鏡結果は、地図3と図8に示した。
山梨県内の全試料、及び本遺跡を含む県東部地域の全試料ともに、同一の鉱物組成を示した。つまり、軽鉱物量が多く、重鉱物はhoに富みcpxがこれに次ぎ、酸性岩的特徴を示す。これは甲府盆地内の、酸性岩的特徴を示す河川砂試料(甲府盆地周辺の花崗閃緑岩からなる第三系の山々の風化土が堆積している)と近似している。これらより全ての試料土器は、甲府盆地内で生産された可能性が高い。
全試料ともに軽鉱物量が少なく、重鉱物はcpxとopxに富み、甲斐型坏の特徴とは全く異なっている。河川砂試料では、富士山などの塩基性岩の風化物が堆積している、県東部地域の試料とよく一致している。これらより全ての試料土器は、県東部地域で生産された可能性が高い。
「須恵器」の胎土は、元素組成から見て、県中~西部の土が使用されているようである。現在までの古窯の調査結果では、助宗古窯の試料に一番近い。県中~西部からの搬入品と考えて良いだろう。
県東部の諸遺跡から出土した「甲斐型坏」の胎土は、蛍光X線分析と偏光顕微鏡観察の結果は共に、「山梨県内出土の甲斐型坏」と一致した。河川砂試料では、甲府盆地内の試料と近似した。産地が甲府盆地内にあることを示している。
「駿東型坏」の胎土は、蛍光X線分析と偏光顕微鏡観察の結果は、共に甲斐型坏とは明らかに異なる。河川砂試料では、県東部諸河川の試料と一致した。産地が県東部にあることを示している。
以上のように、今回の自然科学的手法による各試料土器の産地推定結果は、考古学の常識の範囲に収まり、それを裏付けることになった。
これらの結果を得るために、国立沼津高等工業専門学校の望月明彦先生には、蛍光X線分析装置の使用許可と指導を受けた。また、富士市博物館や三島市、沼津市、湖西市、焼津市、伊豆長岡町、一宮町、山梨県考古博物館などの専門職員の方々からは、貴重な試料土器の提供と助言をいただいた。ここに心より感謝の意を表し終わりとします。
1.1995:壱町田C遺跡出土土器の胎土分析.「大場川遺跡群」三島市
2.1955:静岡県東部地域から出土した甲斐型坏の産地について-胎土の元素組成と重鉱物組成から見た-.「静岡県考古学研究」No27