最近の子ども達を取り巻く社会状況は、めまぐるしく変わってきている。情報化、国際化、少子・高齢化等急激に変化していく社会状況の中において、ひとりひとりが心豊かに自らの生き方を創造していくことが求められるようになってきた。
このような状況の中で、学校教育においては、子どもひとりひとりが生きがいのある人生をつくるための基礎となる力、「生きる力」をはぐくむことを目指している。従来の学問的・科学的な技術の習得に偏りがちだった授業から脱し、子ども自らが問題を見つけ、追究し、解決するような学習ができるよう支援することが求められるようになった(新しい学力観)。
「生きる力」をはぐくむということは、地域の社会や自然との関わりの中で、子どもの「なぜ」「どうして」という切実な疑問を基に自らの問題として意味づけ、納得するまで考えたり、試みたり、判断したり、表現したりして問題を解決するといった一連の学習過程を通してその能力を養うものである。こうした学習過程を可能なものにするためには、その「学習の場」が大切になってくる。
「学習の場」とは、子ども自らが人、社会、自然などの対象に興味や関心をもち、積極的に関わりをもちながら自らの疑問を解決するような問題解決的学習が可能な環境のことである。子ども達はそのような環境の中で、主体的にさまざまな事物と関わり、生きる力の基礎を身につけるのである。しかし、現状の学校環境では、そのような学習を行う場が設定しにくいという問題がある。
こうした問題を解決するには、学校を飛び出し、広い視野をもって学習できる場を設定する必要がある。子ども達は地域社会の中でさまざまな人たちと交流し、さまざまな生活体験、社会体験、自然体験を豊富に積み重ねることによって、「生きる力」の基礎を養っていくのであるが、学校だけにと
どまった学習では大きな成果はあまり期待できない。学校・地域・家庭が連携し協力し合ってはじめてその目的は達成されるものと考える。
そこで、博物館が地域社会の教育機関の一つとして、学校教育にどのように関わっていったらよいかという課題について「学校教育との連携・融合」という視点から実践を試みた。
学校を飛び出して(歴史学習)
本館では、学校教育に関連した活動について以下のような取り組みを行っている。
小中学校の教師用として毎年「博物館利用の手引」を配布し、博物館の利用を呼びかけてきたが、本年度からその巻末に「社会科学習指導要領と博物館資料との関連」の資料を新たに付け加えた。
これは、主に小学校社会科の授業の中で博物館の資料の積極的活用を意図したものである。
学年 | 第6学年 「江戸(中) ~ 明治(前)」 | ||
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目標 | (1) 国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について、関心と理標解を深めるようにし、我が国の歴史や伝統を大切にする心情を育てる。 | ||
内容 | 黒船の来航、明治維新、文明開化などについて調べ、明治時代に入り、廃藩置県や四民平等などの諸改革が行われ、欧米の文化を取り入れつつ、我が国の近代化が進められたことを理解すること。 | ||
【留意点】 黒船の来航については、来航をきっかけとして我が国が開国したこと、また、国内の政治が激動し、幕府が倒れ明治天皇を中心とした新政府が樹立したこと等を指導する。明治維新については、例えば西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らの指導の下で行われた廃藩置県や四民平等などの諸改革を取り上げ、政治や社会の仕組みが変わったことを指導する。 | |||
《取り上げたい郷土の内容》
・寺社の俳額 ・宮島沖のディアナ号遭難(模型、遭難救助想像図)、碇 ・農兵用陣笠、胴丸展示物 | |||
展示物 | 「ディアナ号の遭難(救助の図)」 「乗組員の描いた絵」 「プーチャーチンの写真」 「ディアナ号の模型」 |
富士市内には小学校24校、中学校14校あるが、資料の貸し出しは市内に限らず周辺地域の学校にも行っている。
昭和56年に開館し学校への貸し出し制度が整い、授業などの日常的教育活動の場で活用されるようになったのは昭和58年度からである。図-1に示したように、平成7年度までは全体的に緩やかな増加傾向にあったが、平成8年度からは大幅に増加した。平成7年度までに見られるように、それまでの資料貸し出しの主なものは、手漉き和紙道具やその関連ビデオがほとんどであったが、平成8年・9年度はそれらに代わって歴史的、民俗的資料の貸し出しが多くなった(表)。
年度 | 学校名 | 学年 | 主な貸し出し資料 |
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平成8年度 | 神戸小 | 6 | ビデオ「縄文人からのメッセージ」「古墳のころ」「古代をさぐる」 |
吉永二小 | 6 | ビデオ「登呂のむら」「富士市の古墳文化」 | |
富士養護 | 5 | 手漉和紙道具一式 | |
大渕一小 | 3 | 水桶 天秤棒 たらい 洗濯板 七輪 | |
富士川一 | 5 | ビデオ「富士川」 | |
丘小 | 3 | 鉄釜 カマシキ 写真パネル | |
吉永一小 | 3 | ミノブシ みの | |
平成9年度 | 富士二小 | 6 | 黒曜石 |
吉永二小 | 6 | 火起こし器 | |
広見小 | 3 | かすりの着物 | |
鷹岡小 | 6 | 曽我物語絵図 | |
神戸小 | 6 | 戦争関係うちわ 記念写真帖 戦没者名簿 復刻版新聞 鉄兜 脚絆 | |
原田小 | 6 | 縄文土器 弓 矢 石斧 | |
大渕一小 | 3 | 水桶 天秤棒 秤 たらい 洗濯板 | |
富士二小 | 6 | 天間沢遺跡出土土器片 |
8年度から資料貸し出しの内容、件数が変化した理由は以下のようなことが考えられる。
*バックナンバーをご覧になるには、>[こどものための博物館]>[博物館かわらばん]>[博物館かわらばんfor the TEACHER]
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博物館が普段どのような活動を行っているか、他の学校ではどのように博物館を利用しているか というこについては、学校現場ではなかなか把握しにくいものである。そこで、定期的に博物館か ら情報を発信し、先生方の授業に少しでも参考になればと始めたのが「博物館かわらばんfor the TEACHER」である。この「かわらばん」により「私もやってみよう」と思われる先生が増えたため
に活用が多くなったものと思われる。
図-2は、過去14年間(昭和58~平成9年度)における資料利用頻度を月別に示したものである。これを見ると、利用の盛んな時期として4~6月と9~11月のふたつのピークがあることが分かる。利用のほとんどが小学校であるが、4~6月は6年生の歴史学習の導入の時期、また、9~11月は6年生が戦争関係、3年生が今から100年くらい前からの自分たち地域の変化について扱った単元が組まれているため、歴史・民俗系の当館の利用が多くなったものと思われる。
今後の問題点としては、貸し出し資料の不足が上げられる。新学習指導要領の実施に伴い体験的な学習が多くなるのは大いに賛成である。しかし、反面、1校あたりの貸し出し期間が少なくても2週間以上、加えて各学校での学習進度がほぼ同じであるために、同時期に同じ資料を必要とする場合が多く、言葉は悪いが早い者勝ちというのが現状である。今後さらに利用数が多くなれば対応できない事態が予想されるので、貸し出し可能な資料の数を増やすなどの対策を講じていきたいと思う。
資料の貸し出しの図-2で述べたように、利用の盛んな時期として2つのピークがある。ひとつは1学期の4月頃で、もうひとつは2学期の10月頃である。
4月頃の見学は6年生が多い。内容的には歴史学習のオリエンテーション的なもので、歴史の興味付けといった性格の見学が多いのが特徴である。したがって、目的をもって学習するというよりも、むしろ館内の歴史コーナー全体を見るといった傾向が多い。
ところが、2学期になると、6年生はもちろんのこと他学年においても目的をもって見学にくる学校が多くなってくる。
しかし、ここでひとつの疑問が生じた。それは、子ども達は目的の展示が見つかるとそこに駆け寄り一生懸命にメモをとるが、はたしてその内容をどれだけ理解できているかということである。つまり、本館の展示文章や解説シートの文章が大人向けに書いてあるので小学生がどれだけ理解できるかが疑問になったのである。
そこで、事前に見学の目的等の連絡があった学校については、子ども向けの文章を作成し、関連した展示コーナーの前で説明を行うことを試みてみた。ここに示した例は、博物館の近隣の小学校4年生が総合学習で先人の苦労を学習する際に作成した資料であるが、こうすることによって、少しでも子ども達がその内容を理解してくれることを期待したのである。
博物館は、資料を収集・保管しそれらを次代の人々に伝達するという大きな使命を負っている。その次代を担う子ども達が、気軽に博物館に足を運んでくれるようになるためには、「親しみやすさ」が大切である。「博物館に行けばいろいろなことが分かる」とか「博物館て楽しいな」というような気持ちを子ども達が抱いてくれることがなにより大切である。資料を作り解説することによって、少しでも博物館を身近に感じてくれたらと考えている。
また、展示資料の付加価値といった観点から考えてもその効果が期待できる。学習に関連した内容のものが展示されていても、無目的にその説明を写したりするだけでは授業に役に立たない。分かりやすい説明を聞き、よく理解できれば学校に戻ってもそれが役に立つ。つまり、展示資料としての価値だけにとどまらず、そこには新たな価値=教育的価値が加わってくるのである。
問題点としては、先生が意図していることと説明の内容がずれている場合である。事前に十分に打ち合わせができる場合は問題はないが、いつもそうとは限らない。あくまでも学習の主体は子ども達であって、博物館はその手助けにすぎないということを忘れてはならない。ともすると説明が独りよがりになり授業の目的と大きくかけ離れ、かえって先生が意図する授業展開に支障をきたしてしまうことにもなりかねない。このような事態を招かないように事前に十分に打ち合わせ、子ども達の実体(学習の状況)を十分に把握した上で説明に臨みたいと思う。
前述した資料の作成と同じ目的で、子ども達に「親しまれる博物館づくり」のひとつとして、キャ
ラクターを考えた。子ども達にとって博物館は未知の場所であり、「親しむ」といったイメージからは遠い。大人になっても生涯学習の場として利用するようになる
には、子どもの頃に博物館に対する印象を良くしておく必要がある。そのために子どもに親しまれる博物館のキャラクターを考えてみた(図3)。
「紙の街富士市」にふさわしいように、トイレットペーパーをモチーフに考えたのが「カミすけ」である。このカミすけが「博物館かわらばん」(教師用のかわらばんの前に出していたもの)を通して博物館事業の紹介をしたり、勉強に役立つ資料などを紹介したりして、博物館のイメージづくりをした。
図3 カミすけ
博物館が地域の教育機関としての機能を発揮するには、見学や体験を受け入れるだけでは不十分である。学校教育においては、小学校では生活科や総合的な学習、中学校では選択制の授業などで、外部の教育力の導入を積極的に行い成果を上げている。
このような学校教育を取り巻く環境の変化の中で、本館においても体験の指導やゲストティーチャーとしての協力体制を考えている。
以下の事例は、博物館の近くの広見小学校4年生の総合学習において、本館職員が協力したものである。
4年 総合的な学習としての取り組み
私達は自然にどのように働きかけて自分たちの環境を整えていけばいいのか
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広見小学校の4年生は、このような計画のもとに総合的な学習を行ったが、本館では、社会科の「郷土をひらく」-雁堤(かりがねつつみ)の築堤の苦労や工夫-という単元において、職員を派遣し説明を行った。
雁堤というのは、江戸時代、日本三大急流の一つである富士川において、親子三代50年間に渡ってその治水工事に携わり、莫大な費用と尊い人命をかけてようやく新田開発に成功したという話で、その堤の形が、雁が隊列をなして空を飛ぶ形に似ているところから、「雁堤(かりがねつつみ)」と呼ばれるようになったところである。
この雁堤の学習を博物館内と現地の2カ所で行ったところがこの単元の特徴であった。以下に簡単にその流れを説明したいと思う。
-単元の流れ-
①事前打ち合わせ
最初に本館において、授業の目的、流れ等を打ち合わせ、その後2~3回の話し合いを行った。
②博物館の展示室での説明
本館の歴史に関する展示室には、「治水と新田開発」と題して富士市の新田開発の歴史についてのコーナーがあるので、そこにおいて1日2クラス(1クラス30分位)、2日間に渡って雁堤の説明を行った。授業の一環としての学習なので、本来ならば一方的な説明では子ども達のためにはならないが、時間的な制約もあったので、講義的な学習にならざるを得なかったのが残念であった。しかし、子ども達が大変熱心に聞いてくれたのが幸いであった。
③現地(岩本山と雁堤)での説明
脱穀の体験
本館は昭和56年に開館して本年度で16年目になるが、博物館から遠い地域の人たちにとっては利用頻度は近い人たちのそれに比べたら低い。そこで、博物館の宣伝を兼ねて地域の公民館を会場にその地域になじみの深い展示会を開催している。
本年度は、富士市の南西に位置し、江戸時代からの米どころである富士南地区において、米づくりに関係のある農具の展示をし、あわせて当時のその地区の様子を紹介した。この企画は本年度で7回目になるが今年度初めての取り組みとして、小学校の体験学習を行ってみた。
展示に教育的価値を加えようということで、公民館と相談して、学校を巻き込み実現したのが脱穀体験である5年生を中心にして、古くは江戸時代から昭和30年代にかけての脱穀の道具を実際に動かしてみた。
今後の課題としては、小学校の社会科の授業を念頭に入れて、その地域にちなんだ企画にしていかなければならないということである。
脱穀の体験
博物館の利用推進にあたり、施設利用と学校関係の諸機関との連携という二つを考えてみた。
このように、博物館と学校教育との接点を意図的につくることにより、ひとりでも多くの先生方に博物館に足を運んでもらい、その利用の拡大を図ってみた。
今後の課題としては、博物館の利用が学校教育の中で具体的にどのような成果を上げているかという確かめの機会を作ることである。いろいろな資料を貸し出したり、体験を行ったりするが、博物館として把握できるのはその時だけで、その後の学習がどのうようになったかは分からない。つまり、資料や体験がどんな学習効果を上げたか(あるいは効果がなかったか)を確かめる方法がないということである。博物館としては、学校教育に対しての取り組みが独りよがりのものにならないために、検証の機会を設ける必要があると考える。
ここに提示した実践はあくまでも一例であり、今後更に学校教育の現場で博物館資料を活用され、より効果的な活用方法を実践していただければ幸いである。
博物館の最も大切な使命は文化遺産の保存、継承である。その保存している資料の一般的な価値は、実物資料としての価値、学問的価値、芸術的価値などであるが、今後、学校・家庭・地域の連携が深化し、博物館としての教育力の必要性が益々高まってくると、資料の一般的な価値に加え、その教育的価値が大きくなってくるであろう。博物館としては、学校教育を取り巻く環境の変化に応じて、教育的側面の整備を図り、今後更に学校との連携を深め、互いに充実した教育活動が展開できるようになることを期待したい。
ゲストティーチャーとして