富士市立博物館では、昨年度「20世紀写真の中の富士-学び舎のあの日-」展を開催しました。
古い学校の生活・行事の写真や教材・教具などを展示するとともに、
市内の各小学校の協力を得て、校歌をBGMとしてながしました。来館者からは、
「校歌を聴いて子どもの頃の学校生活を懐しく思い出して、同級生と歌ってみた。」
といった反響がありました。そこで、今回は誰しもが口ずさんだ小学校校歌をとりあ
げます。
校歌は、その学校の特色をあらわすシンボルといわれることがあります。校歌の歌詞には、
その学校の地理・自然、、歴史的環境、校訓、学ぶ者の思い・希望などがもりこまれています。
国内の校歌として一番古いのは、東京女子師範学校(現お茶の水大学)の校歌で、
1876(明治11)年に制定されました。富士市内で最も古い校歌は、1920(大正9)年
に作られた富士第一小学校のものです。「滔々として流るる富士の早瀬は」に始まる内容で、
当時のきまりで文部省検定手続きを経て制定されました。校歌の発表会には、
早稲田大学音楽部員のオ-ケストラ演奏が盛況であったそうです。
▲ 校歌を公募した青葉台小の校歌発表会
表①は、富士市内の小学校の協力を得て、校歌の制定年を調査したものです。
学校の創立年とは、必ずしも一致していないようです。
校歌の歌詞は、一般的に戦前は文語調で、戦後 は口語調に変容しています。
また、田子浦小や吉原小のように歌詞の長さや時代の移り変わりを背景に通常2番まで歌うようにしているところもみられます。
表②は校歌の調を表したものです。
表(1)校歌制定年 | 表(2)校歌の調 | ||
大正時代 | 2 | ハ長調 | 12 |
昭和10年代 | 2 | ヘ長調 | 7 |
20年代 | 3 | ト長調 | 3 |
30年代 | 9 | ニ長調 | 2 |
40年代 | 3 | 変ロ長調 | 2 |
50年代 | 3 | ※数字は学校数 ※ニ長調は変更した1校を含む | |
平成 時代 | 3 |
ちなみに富士第一小学校の校歌は、原曲はニ長調でしたが、現在はハ長調になっています。
ハ長調の校歌が多いのは、小学生にとっての歌いやすさ、演奏のしやすさによるものなのでしょうか。
校歌の歌詞やその制定のいきさつを丹念にみていくと、いろいろな発見があります。 まず、富士山の表現は、