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調査研究ノート№4(博物館だより№32より)

吉原宿の問屋役および年寄役の変遷について


宿場において人や荷物の継立を行う最も重要な施設は問屋場とよばれ、 宿役人がここに詰め宿駅業務を行っていました。 宿役人には、問屋・年寄・帳付・人馬指などがありましたが、 そのうち、問屋は宿駅業務を取り仕切る宿役人の最高責任者であり、 年寄は問屋の補佐役でした。 宿場によっては問屋見習・問屋格・年寄見習・年寄格などがいる場合もあり、 これらは吉原宿にもみられます。
天保4年(1833)の文書によると、 当時本陣は長谷川八郎兵衛・神尾六左衛門の2軒、 脇本陣は野口祖右衛門・杉山平左衛門・鈴木伊兵衛の3軒でした。 この年に問屋役を勤めていた鈴木家は 享保年中(1716~37)から数代にわたって宿役人を勤め、 同じく問屋役の杉山家、長谷川家、年寄役の野口家は 吉原宿が所替(移動)した天和2年(1682)から数代にわたって宿役人を勤めていると記されています。
以下に、脇本陣鈴木家、脇本陣野口家文書に記載のあった 吉原宿問屋役および年寄役名を表にまとめました。 なお、吉原宿においては 問屋・年寄役は宿内の本陣・脇本陣・長百姓が勤めるのが常だったようです(脇本陣鈴木家文書より)。

(学芸員 平柳 和美)
○年 次      /問   屋                 /年    寄
○天和元(1681)/清兵衛(矢部)・六左衛門(神尾)/三左衛門(長谷川)・角兵衛・助左衛門(鈴木)・佐右衛門(野口)
○宝永6(1709)/弥兵衛・五郎左衛門/曽右衛門(野口祖右衛門)・佐七・瀬兵衛(矢部清兵衛)・善六
○享保10(1725)/八郎兵衛(長谷川)平左衛門(杉山)/忠右衛門・万右衛門・七郎兵衛(村井)
○享保11(1726)/八郎兵衛(長谷川)/七郎兵衛(村井)・万右衛門・伊兵衛(鈴木)
○享保19(1734)/*平左衛門(杉山)死去/喜夫・万右衛門・伊兵衛(鈴木)
○享保20(1735)/  /*万右衛門 死去
○元文4(1739)/ 喜夫・伊兵衛(鈴木)/佐助(野口)
○延享2(1745)/*八郎兵衛(長谷川) 病死/
○寛延4(1751)/伊兵衛(鈴木)*宝暦元年(1751)に病死・七郎兵衛(村井)・佐助(野口)/
○宝暦9(1759)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/彦次郎・丈助
○宝暦10(1760)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/彦次郎
○宝暦11(1761)/七郎兵衛(村井)/
○宝暦12(1762)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/彦次郎・丈助
○宝暦13(1763)/七郎兵衛(村井)/
○明和元(1764)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/ 丈助
○明和2(1765)/七郎兵衛(村井)/
○明和3(1766)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/丈助・与兵衛
○明和4(1767)/七郎兵衛(村井)*府中宿より沼津宿迄惣代 野口佐助/
○明和6(1769)/七郎兵衛(村井)/
○明和9(1772)/与兵衛/
○安永3(1774)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/
○安永4(1775)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/八郎兵衛(長谷川)・平左衛門(杉山)・七郎介?
○安永5(1776)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/ 八郎兵衛(長谷川)・平左衛門(杉山)
○安永6(1777)/野口佐助・村井七郎兵衛/長谷川八郎兵衛・神尾六左衛門・杉山平左衛門
○安永7(1778)/佐助(野口)・七郎兵衛(村井)/八郎兵衛(長谷川)・六左衛門(神尾)・平左衛門(杉山)
○天明8(1788)/左内・左介(野口佐助)/清兵衛(矢部)
○寛政4(1792)/左内/
○寛政5(1793)/左内/
○享和元(1801)/伊兵衛(鈴木)・左介(野口佐助)・清兵衛(矢部)/六左衛門(神尾)
○文化2(1805)/伊兵衛(鈴木)・清兵衛(矢部)・左助(野口)/六左衛門(神尾)・理平・平左衛門(杉山)
○文化3(1806)/清兵衛(矢部)・治右衛門(旅篭屋梅屋か)/八郎兵衛(長谷川)・平左衛門  (杉山)
○文化5(1808)/左助(野口)/八郎兵衛(長谷川)・助次郎・庄助
○文化7(1810)//伊兵衛(鈴木)・平左衛門(杉山)*伊兵衛、平左衛門はともに文政7年(1824)まで勤続した記録がある。
○文化8(1811)/ /助二郎(助次郎)
○文化12(1815)/助次郎/庄助・伊兵衛(鈴木)・兼八
○文化13(1816)/助次郎/庄助・伊兵衛(鈴木)・兼八
○文化14(1817)/助次郎/伊兵衛(鈴木)・兼八
○文政2(1819)/助治郎(助次郎)/伊兵衛(鈴木)・兼八
○文政3(1820)/助治郎(助次郎)/平左衛門(杉山)・伊兵衛(鈴木)
○文政4(1821)/伊兵衛(鈴木)・平左衛門(杉山)/弥三郎(野口)・仙助<農業>
○文政5(1822)/八郎兵衛(長谷川)*これより天保4年(1833)まで勤続している記録がある。/*依田橋村名主の半左衛門(農業)が、天保4年(1833)まで年寄を兼役している記録 がある。
○文政6(1823)/助次郎/半蔵・林右衛門・伊兵衛(鈴木)
○文政7(1824)/助治郎(助次郎)/伊兵衛(鈴木)
○文政8(1825)/助治郎(助次郎)・伊兵衛(鈴木)・八郎兵衛(長谷川)/
○文政9(1826)/助治郎(助次郎)・伊兵衛(鈴木八郎兵衛(長谷川))/平左衛門(杉山)*天保4年(1833)まで勤続し、同9月問屋役になったと記録にある。
○文政12(1829)/伊兵衛(鈴木)/平左衛門(杉山)・理助
○文政13(1830)/伊兵衛(鈴木)/平左衛門(杉山)・理助
○天保3(1832)/伊兵衛(鈴木)/平左衛門(杉山)・理助
○天保4(1833)/八郎兵衛(長谷川)・伊兵衛(鈴木)・平左衛門(杉山)/半左衛門・仙助・弥三郎(野口祖右衛門)*吉原宿見習 丈助
○天保6(1835)/八郎兵衛(長谷川)・伊兵衛(鈴木)・平左衛門(杉山)/半左衛門・仙助
○天保7(1836)/*問屋3人 問屋格1人/*年寄 2人
○天保8(1837)/伊兵衛(鈴木)・八郎兵衛(長谷川)・助治郎(助次郎)*問屋格 理助/権平・六左衛門(神尾)
○天保13(1842)/伊兵衛(鈴木)・六左衛門(神尾)/七郎治・弥右衛門 *年寄見習 平左衛門(杉山)*年寄格 源兵衛(旅篭屋江戸屋)
○天保14(1843)/伊兵衛(鈴木)・六左衛門(神尾)/七郎治・弥右衛門 *年寄見習 平左衛門(杉山)*年寄格 源兵衛(旅篭屋江戸屋)
○弘化4(1847)/問屋脇本陣兼 伊兵衛(鈴木)・問屋本陣兼 六左衛門(神尾)*本陣 八郎兵衛(長谷川)*脇本陣 祖右衛門(野口)*脇本陣 平左衛門(杉山)*脇本陣 清兵衛(矢部)/源  兵衛(旅篭屋江戸屋)*年寄見習 利兵衛
○嘉永6(1853)/伊兵衛(鈴木)・六左衛門(神尾)/
○安政3(1856)/鈴木伊兵衛・神尾六左衛門/
○文久元(1861)/伊兵衛(鈴木)・六左衛門(神尾)/八郎兵衛(長谷川)・丈三郎・一太郎*年寄見習 平左衛門(杉山)*年寄見習 祖右衛門(野口)
○文久3(1863)/*東海道三嶋宿より府中宿迄組合九ヶ宿取締役 伊兵衛(鈴木)/
○文久4(1864)/六左衛門(神尾)*組合宿々取締役 伊兵衛(鈴木)/八郎兵衛(長谷川)・丈三郎・一太郎・祖右衛門(野口)*年寄格 縫之助(漆畑)
○元治元(1864)/*組合宿々取締役 耕蔵(鈴木伊兵衛)/
○慶応元(1865)/*三嶋宿より府中宿迄組合宿々取締役 鈴木耕蔵(伊兵衛)/
○慶応2(1866)/八郎兵衛(長谷川)・助郷惣代兼問屋 隆三*宿々取締役 鈴木耕蔵
○慶応4(1868)/野口祖右衛門・漆畑縫之助/高松林助(旅篭屋柏成屋)・内田平右衛門・太田五郎衛門

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