国指定重要文化財 平安時代後期 木造寄木造 瑞林寺(富士市松岡)伝来
富士市松岡にある瑞林寺は、
江戸時代の初めに中国から伝えられた黄檗宗 (禅宗の一派)の寺院です。
一般に黄檗宗の寺院は、新田開発が盛んに行われた大河川の下流地域に多くみられます。
瑞林寺も例外ではなく、古郡氏が親子三代で力を注いだ富士川の下流地域
-加島新田-開発の成功を祈って建てられた寺院です。
古郡氏によって加島新田開発のための雁堤が築かれる以前の富士川は、
加島平野を東西にむかって幾筋にも流れ、
洪水のたびに流れをかえては家や田畑をおし流し、人々を苦しめました。
雁堤の完成で富士川の乱流はせき止められて一本の流れとなり、
新田開発ができるようになったのですが、
自分の田畑を持ちたい守りたいと願う人々は積極的に協力しました。
その結果、この地域は「加島五千石」と言われるほどの米どころとなり
富士市が繁栄する基盤となりました。
この大事業を支え指導したのが、
新田開発に実績のあった鉄牛禅師(1628-1700)であり、瑞林寺を開いた人です。
禅宗の寺院の本尊には釈迦如来をまつるのが一般的でしたが、
鉄牛禅師は広い意味で仏の道を解釈していたため、
瑞林寺には地蔵菩薩座像を安置しました。
地蔵菩薩は、その姿も超人的な如来と比べて一般人に近く、
庶民の日常的な願いも叶えてくれる身近な仏として各地で親しまれ
信仰されてきました。
瑞林寺の地蔵菩薩座像は、新しい時代を築く転機となった新田開発の支えとなり、
天下安泰を祈るための寺院にふさわしい仏像ではなかったかと思われます。
なおこの仏像は、
慶派(鎌倉時代を代表する仏師集団)の仏師が造ったといわれていますが、
国の重要文化財の指定を受けるほどの仏像が
富士市のような一地方に伝来することは、
当時の文化交流を知る上でも興味深いところです。
瑞林寺で毎年8月15日に開帳されます。
(博物館本館第一展示室に展示されている像は精巧な複製品です。)