博物館玄関手前の歩道沿いに展示されているドライヤーとカッターは 明治23年(1890)に入山瀬で操業を開始した富士製紙会社で 操業当初から使われていたものです。 ドライヤーとは、製紙工程のうちドライヤーパートという乾燥工程を行う機械です。 このロールを上下2段に数十個並べて内側に蒸気を通して加熱し、 その表面に紙を接触させて乾かします。 乾燥工程を終えた紙は光沢機にかけられてつや出しをし、 用途に応じて裁断されることになります。 裁断するのに使われた機械がカッターです。 富士製紙会社は富士市域で最初の近代的な製紙工場で、 東京の大資本によって設立されました。 製紙会社設立に当たって入山瀬が選定されたのは、 当時の主要な動力源の石炭が高騰していたので 石炭に代わる安価な動力として水力が採用され、 潤井川の流水量を利用することとなったためです。 また原料の木材や従業員の確保についても条件を満たしている場所でした。 当時潤井川は田畑の潅漑用水や飲料水の水源となっていました。 このため富士製紙会社の進出は工場用水の取水による流水量の減少や、 排水の放流による汚水流入などの問題を引き起こすことになりました。 農業主体の潤井川下流周辺の村々にとって 潅漑用水の不足や汚水の流入は死活問題であったため、 会社側と地元農民の間で話し合いがもたれ、 排水路新設などの解決策がとられていきました。 この一方で、入山瀬工場への原料の輸送や製品の出荷のため 吉原-大宮間に馬車鉄道が敷設され、 また平垣に第八工場が新設されるのにともなって 東海道鉄道に新たに富士停車場が開駅するなど、 富士製紙会社に関連して交通網の整備が進みました。 またこの時期には今泉や原田地区で以前から行われていた手漉き和紙が 機械漉きに転換する動きが見られ、 地元資本の中小の製紙会社が次々に設立されるなど、 富士製紙会社の進出は紙のまち富士市が形作られていく上で 大きな影響を与えたといえます。