この朱印状は、慶長6年(1601)正月、
徳川家康が全国統一政策の一環として東海道の伝馬制を実施する際、
吉原宿に下したものです。
これにより、吉原宿は東海道の正式な宿場に指定されることになったため、
吉原宿の第一歩を示す貴重な古文書といえます。
文書の冒頭の「定」の字の上に押してある朱印は、
上部には右から「伝馬朱印」と刻まれており
下部には馬を牽く馬子が刻まれている特殊なもので、
「駒引朱印」ともよばれています。
この朱印状と同じ印を文押した朱印状を持つ者には、
輸送用の人馬を無条件で提供するよう命じているものです。
吉原宿の伝馬朱印状は、中世には富士川の渡船に関わる権利を掌握し、
江戸時代に入ってからは吉原宿の脇本陣銭屋を経営、
問屋役・年寄役などを勤めた宿場の有力者であった矢部家に伝わり、
現在も大切に保存されています。
なお「伝馬朱印状」は東海道53宿のうち22宿分、
静岡県内では13宿分が現存しています(静岡県史 通史編3』より)。
また東海道の各宿場には、
「伝馬朱印状」と同時に「伝馬定書」が下付されています。
これには常備すべき伝馬の数、継立区間、伝馬を常備する代償として与えられた無税の伝馬屋敷地の坪数、
伝馬への積載量などが記されていますが、吉原宿のものは現存していないようです。
*博物館本館第1展示室に展示している「吉原宿(よみ下し分)伝馬朱印状」は複製です。