博物館の常設展示は、富士市の歴史を知る第1展示室のほかに、
地場産業である製紙業について紹介する第2展示室があります。
第2展示室のまん中に据えられている大きな機械が、原田製紙
第1号機の模型(1/2)です。
原田製紙は、富士市原田の永明寺南側(現在はレストランとなっている)に、
今から100年ほど前の明治27年(1894)につくられた製紙工場です。
はじめは、近くを流れる水量豊富な滝川の水を引き、動力源としていました。
この時期には、それまで手すきで作られていた和紙が、
機械で作られるようになっていきました。
原田製紙第1号機は、日本で最初に和紙生産を機械化したものです。
▲原田製紙第1号機の模型(1/2)
原田製紙ではおもに、食事の時などに使うナプキン紙を製造していました。
昭和12年に王子製紙が発行した『日本紙業綜覧』という本の中に、
紙ナプキンの項があります。このなかで、機械すきで紙ナプキンを製造する
日本最大の会社が原田製紙であると紹介されています。
この当時、原田製紙では4台の抄紙機を有し、
年間4億8千万枚の生産能力があったということです。
このころ、ナプキン紙は多くが輸出向けに生産されており、
フィリピン、アルゼンチン、オーストラリアなど53カ国に輸出されていました。
富士市内の小・中学生のみなさんは、製紙工場見学をして、見あげるように大きくて、
校舎の廊下ほどにも長い製紙機械を見た経験があるのではないでしょうか。
紙が作られる仕組みは、あの大きな機械も、この100年前の機械も、同じことです。
このように、富士市の製紙業の歴史は今から100年以上前から続いています。
この間には、発展のみがあったのではなく、全国的に知られる公害問題も発生しました。
また、IT化が進むなかでペーパーレスという言葉も使われます。
しかし、トイレでペーパーを使わない日はないでしょう。
富士市のトイレットペーパー生産は、全国の1/3を占めているのです。
博物館を訪れて、紙の歴史やこれからのことを考える機会を作りませんか。