かぐや姫ゆかりの地

富士周辺に伝わる、富士山に帰るかぐや姫の物語をご紹介しています。

富士山の女神 かぐや姫

「かぐや姫」というと、竹から生まれた少女が最後は月に帰ってしまうという、古典文学『竹取物語』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

しかし、ここ富士山周辺では、かぐや姫は月ではなく富士山に帰り、富士山の神様だった、というストーリーが伝承されています。この話は、「富士山縁起」という富士山信仰に関わる寺社の縁起書などに記され、特に富士南麓に位置する静岡県富士市・富士宮市を主な舞台としていることから、当地周辺にはいくつもの伝承地が残されています。

当ミュージアムでは、この富士山に帰るかぐや姫の物語をご紹介しています。

ふじかぐちゃん

ふじかぐちゃん

あらすじ

竹の中から小さな女の子

駿河の国、乗馬の里に住む「作竹の翁」と呼ばれるおじいさんは、竹の中から小さな女の子の赤ちゃんを見つけました。おじいさんは赤ちゃんを家に連れて帰り、おばあさんと二人で大切に育てました。

赤ちゃんはすくすくと育ち、国中に並ぶものがないほど美しい娘になりました。娘は、いつもかぐわしい良い香りがしていて、体からは神々しい光を放っていました。その光で辺りは夜でも昼間のように輝いていたので、かぐや姫(赫夜姫)と呼ばれるようになりました。

かぐや姫が放っている光

かぐや姫が16才になった頃、一人の役人がおじいさんの家に宿をとりました。すると、夜になっても火を燃やしているように明るかったので、役人がおじいさんに理由をたずねました。おじいさんは、かぐや姫が放っている光であることを伝え、かぐや姫を役人に会わせました。役人は、かぐや姫の美しい姿に驚いて、帝の后にふさわしいと伝え、帝に報告するため都へ帰っていきました。

富士山のほら穴に

しかし、かぐや姫は、富士山のほら穴に帰るため后にはなれないと、おじいさんとおばあさんに伝え、自分に会いたくなったら富士山のほら穴にきてくださいと言いました。

この噂は国中に広がり、かぐや姫が帰る日になると多くの人が集まって、皆別れを惜しんで涙を流しました。その場所は憂涙川(現在の潤井川)と呼ばれました。この時代、富士山は、神仏の住む世界で登るのは恐れ多いと考えられていましたが、皆かぐや姫を追って富士山に登りました。すると、途中でかぐや姫は振り返って別れを告げ、おじいさんと最後の別れの歌を詠んで、一人山頂へ登っていきました。この場所を中宮と呼んでいます。

かぐや姫にみちびかれ

かぐや姫は富士山頂に着くと、山頂にある釈迦ヶ嶽の近くの大きな岩にあるほら穴に入っていきました。実は、かぐや姫は富士山の神さまだったのです。そして、人々を救うために『浅間大菩薩』という女性の神さまの姿になって乗馬の里にあらわれたのです。

それからは、人々はかぐや姫にみちびかれ、女性は富士山の中宮まで、男性は山頂まで登れるようになったということです。

かぐや姫を后にと望んだ帝

かぐや姫を后にと望んだ帝は、駿河の国へやってくると、おじいさんを案内に富士山へ登りました。途中、帝が冠を脱いで休憩した場所は、今では冠石と呼ばれる石となっています。

そして、帝は山頂でかぐや姫に会うことができ、二人で富士山のほら穴の中へ入っていきました。ところで、実は、かぐや姫を育てたおじいさんは『愛鷹権現』、おばあさんは『犬飼明神』という神さまだったのです。

かぐや姫ゆかりの地 (富士市原田・比奈地区周辺)

かぐや姫ゆかりの地

A.竹採塚(たけとりづか)…富士市指定史跡。卵形の石に「竹採姫」と刻まれている。かぐや姫が育った場所とされる〔※1〕。

B.滝川神社(たきがわじんじゃ)…かぐや姫誕育の地とされる〔※2〕。竹取の翁を祀るともされ、父宮と呼ばれた。

C.寒竹浅間神社(かんちくせんげんじんじゃ)…竹取の翁がかぐや姫を発見した竹やぶがあった場所とされる〔※3〕。

D.飯森浅間神社(いいもりせんげんじんじゃ)…かぐや姫の下婢(かひ=召使いの女)を祀るとされる。

E.妙善寺観音堂(みょうぜんじかんのんどう)…堂内に祀られる神像は照手姫(てるてひめ)とされるが、かぐや姫像との説もある。

F.鑑石(かがみいし)…照手姫が池の中の石を鏡として顔を映したとされる。かぐや姫も顔を映したといわれる。

G.囲いの道(かこいのみち)…かぐや姫が富士山へ登る際、たどったとされる道。

H.見返し坂(みかえしざか)…かぐや姫が富士山へ登る際、育った里を名残惜しんで振り返ったとされる坂道。

I.手児の呼坂(たごのよぶさか)…手児はかわいい娘、つまりかぐや姫を指し、呼べばこの坂の先でかぐや姫が待っているとされる。

〔※1〕「荊叢毒蘂」より  〔※2〕「富士山大縁起」(永禄3年)より  〔※3〕「駿河記」より